せっけん作りやドッグアロマテラピー、犬との生活から
感じたこと、学んだことなどを綴りました。
お役立ち情報とともにお届けします。

 
八日目
2006/6/18


この世のはじめは無だった  あったのは音楽だけ

一日目 神様は太陽をつくった 眩しい太陽
次に神様は大地をつくった

二日目 神様は海をつくった
海は足を濡らす
風は体をくすぐる

三日目 神様はレコードをつくった

四日目 神様はテレビをつくった

五日目 神様は草をつくった
草は刈られると“痛い”と泣く
だからそっとなでて 優しく話しかけてあげよう

こうして木に触れると 人は木になる
こうして目を閉じると 人はアリになる

六日目 神様は人間をつくった
人間の色はさまざま
僕は女の子が好き キスしてもチクッとしない

日曜日 神様は休息なさった
ちょうど七日目だった

 上の詩は、ある映画のセりフの一部です。タイトルは「八日目」
今回はおすすめ映画の紹介です。一見犬とはまったく関係のない(犬は登場するけれど)障害者と社会がテーマのお話。でも、実はわたしたちと犬との関係をものすごく深く考えさせられる、犬好きな人にはぜひ観てほしい映画なんです。
● あらすじ
 主人公は、仕事人間で家庭を顧みず笑うことを忘れかけたビジネスマンのアリーと、死んだお母さんに会いたくて施設を脱走したダウン症の青年ジョルジュ。ジョルジュが連れていた犬をアリーが車で轢いてしまったことで、2人は出会います。アリーは仕方なくジョルジュを家に送ろうとしますが、すでにお母さんは亡くなって、ただ一人の身内の姉には家庭がありジョルジュを引き取ることはできません。やさしくしてくれる人たちにすぐ「好き」と言ってしまう障害者のジョルジュに、皆当惑の表情を浮かべて拒否します。「ただ好きなだけなのに・・・」 憎むことを知らないジョルジュは感情を爆発させます。それでも家庭が崩壊して悲しむアリーを無垢な愛情で癒し、2人はかけがえのない友達に・・・。アリーの心が救われたのを見て、ジョルジュは今度こそお母さんに会うため、一人天国へ旅立ちます。
 わたしたちは通常人間関係の中で、本当のことを言わなかったり、感情を隠したりしながら相手と一定の距離を置いて接しています。自分が傷つかないように防衛線を張り巡らし、隙があれば相手を出し抜こうとして生きています。でも、時にそんなことがまったく無意味に思えるほどに心を突き動かされることもあります。そんなとき、心の底から笑ったり泣いたり、やさしくなれたりできるのですよね。犬と暮らし、かけがえのない絆で結ばれた飼い主さんなら、そんな場面を日々経験されていることでしょう。

 この映画に出てくるジョルジュや知的障害施設の仲間たちは、言い換えれば“犬に近い人たち”なんです。わたしの見方では、ジョルジュは“犬の心を持った人間” “人間の姿をした犬”です。人間と犬を一緒にするなんて!と憤慨される方もいらっしゃるかもしれません。でも、魂や心に犬も人もあるでしょうか?

 ダウン症のジョルジュとビジネスマンのアリー、彼らを取り巻く社会の中に、犬と人間の関係や犬として生まれることの悲しみ、彼らの純真で深い愛情を象徴しているシーンがたくさん表現されています。たとえば・・・

犬(ジョルジュたち)はいつもやさしい誰かを求めている。
  ・・・彼らには信頼できる飼い主が必要。

犬(ジョルジュたち)は周りの人になかなか理解されない。
  ・・・彼らの言葉を固定観念の強い人間たちはわかってくれない。

犬(ジョルジュたち)は人間に世話をされないと生きていけない。
  ・・・わたしたちは彼らを意図的にブリーディングし、家にとじこめている。
犬(ジョルジュたち)は自由に恋をして子孫を残してはいけない。
  ・・・去勢や避妊、血統重視、人間の利益のためのブリーディング。
犬(ジョルジュたち)が感情をストレートに表現すると周りから拒否される。
  ・・・人間のルールに合わせてしつけられ、ときには外科的な処置さえされる。
犬(ジョルジュたち)は愛することはできても憎むことができない。
  ・・・飼い主への愛情は捨てられても変わらない。
犬(ジョルジュたち)は好きな人が幸せだとうれしい。
  ・・・飼い主に好かれたい、飼い主が喜んでくれるのがうれしい。
犬(ジョルジュたち)は好きな人のためなら命を差し出すこともできる。
  ・・・飼い主の命を事故や病気から守り、死後も見守っていてくれる。


 どうですか?犬と暮らす上であたりまえとなっている飼い主としての義務や考え方と照らし合わせてみてください。わたしたちがよかれと思うことがかれらの悲しみで、取るに足らないことが彼らの喜びだったのかも・・・。今まで考えてもみなかったことが、ジョルジュたちがまぎれもない人間であることから生々しく身に迫ってきます。

 ダウン症のことをこちらの国ではモンゴリアンというそうです。健常な人からすれば、差別的にも聞こえてしまうモンゴリアンという言葉を、この映画ではジョルジュの頭の中の世界を通しモンゴルの人という意味で表現しています。モンゴルの騎馬民族の姿になったジョルジュとその仲間たちが、草原を馬で疾走する姿は、勇壮でたいへん美しい・・・。忘れられないシーンです。
 ジョルジュ役のパスカル・デュケンヌは、ベルギー障害者オリンピックに出場したスポーツマンで、以後舞台にも立つようになりました。演技とは感じさせないピュアな存在感、ダンスシーンもなかなか。音楽も撮影もすばらしい。でも、この映画を役者がいいとか脚本がいいとかだけで評価するのは、あまりに物足りなさすぎます。

・・・・・・・・・・・
神は考えた “つくり忘れたものは?”
八日目の創造物はジョルジュ
神は彼に満足なさった

わたしにとってのジョルジュは愛すべき犬たち。どうか、ジョルジュを犬になぞらえて観てください。


八日目
LE HUITIEME JOUR


1996年 フランス/ベルギー
監督:ジャコ・ヴァン・ドルマル
主演:ダニエル・オートゥイユ パスカル・デュケンヌ
撮影:ワルテル・ヴァンデン・エンデ

DVD
TOSHIBA
書籍
青山出版社









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