せっけん作りやドッグアロマテラピー、犬との生活から
感じたこと、学んだことなどを綴りました。
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尊厳と安楽死
2008/8/7


 ここのところ、お客様や仕事でお世話になっている方のワンちゃん、ネコちゃんが相次いで亡くなりました。いずれも10歳を超える高齢の子たちでしたが、飼い主さんたちの悲しみは、やはり深いものでした。

 ついこのあいだまで小さなふわふわの子犬や子猫だったのに、いつの間にか自分の歳を追いこしていってしまうこの子たち。 いつかお別れしなければならないのはよーくわかっているけど、それがいつなのか、どういう理由からなのか? とりわけ、愛犬・愛猫がたいへんな痛みや苦しみにみまわれる事態にでもなったらわたしたちはどうしたらよいのか? 重いテーマですが、今回は安楽死について綴ってみることにしました。

 そもそも、人間の死とペットの死ではどこがちがうのでしょう。年々増えている自殺、動物には自ら死を望むという概念がないと思われています。(野生動物が群れをなして崖から飛び降りたり、自らが犠牲となって群れを守るのは別として) ケガや病気に苦しんでいても、呼吸が止まるまで生に対して積極的なのが動物だと、多くの人が思っているでしょう。
 洋の東西や、民族、宗教などによって、死に対する解釈はさまざまです。もちろん動物の死に対しても。助かる見込みがないまま苦しむ犬や猫を、死によって早く楽にしてあげるというのは、日本人にはあまりなじまない考え方ですが、欧米ではしばしば聞かれます。

 動物専門チャンネルのアニマルプラネットで、アメリカの動物病院の1日をリポートするシリーズをわたしはよく観ていました。その中で、安楽死も何度かリポートされていました。
 ガンと宣告されたボクサー、治る見込みはなく、痛みに耐えながら過ごす毎日です。どれほどの痛みだったのか…そのボクサーは自分で呼吸することもできるし、立ち上がって歩くこともできましたが、飼い主と獣医師は安楽死を決断します。飼い主は死の瞬間に立ち会いませんでした。獣医師に連れられ、自分の足で歩いて処置室に向かうボクサーの後ろ姿を見て、わたしは何だか絶対に許せないような気持ちになりました。何でもう少し病気と闘う時間を与えてあげられなかったのか? 処置室に自ら向かう愛犬を、何で平気で見ていられるの!? アメリカでは安楽死を安直に捉える傾向があるのでは?最後の時を飼い主が決めるなんて傲慢だ!!とさえ思ってしまいました。 決断にいたるまでどのような過程があったかはさておき、このシーンを観て以来、わたしはペットの安楽死に、以前にもまして抵抗感を覚えるようになったのです。

 自分は絶対安楽死反対派!と豪語していたわたしでしたが、昨年の秋、また別の安楽死を取り上げた番組を観て、ふたたび考えさせられることになりました。『ポチたま』だったか『動物奇想天外』だったか忘れましたが、とにかく日本のメジャーな動物番組で、観られた方も多いと思います。
 やはりガンだったと記憶していますが、ボルゾイで、すでに寝たきりの末期状態、生きているのがやっとという様子がうかがえました。そして、こんなに頑張り続けたこの子に、これ以上苦しい思いはさせられない、楽にさせてあげたいと、飼い主の方は涙で安楽死を決断します。最期のとき、飼い主さんが手を握って「ありがとうね」と言うと、ボルゾイの目からも涙が……。その表情は、飼い主さんへの感謝の気持ちでいっぱい、とても安らかに見えました。ボルゾイの亡骸は家に戻り、家族全員に囲まれ、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、子どもたち、みんな泣きながらありがとうを言ってお別れしていました。以前観たボクサーの死とは違って、本当に心の通じ合うお別れと感じました。安楽死ではあったけれど、生き切った様子が伝わってきました。

 この2例は、あくまでもテレビ番組というフィルターを通した、わたしの個人的な捉え方です。しかし2つのペットの安楽死を観て、なぜこんなにも気持が逆に動いたのか、この2つの違いは何だったのでしょう。それはきっと、ボルゾイの死には、愛と尊厳が感じられたからだと思うのです。ペットに対して、わたしたちは
愛情は抱くことはあっても、尊厳についてはあまり意識したことがないのではないでしょうか。痛みや苦しみだけから解放させてあげればよいのではなく、その子の生き方や感じ方をも尊重しながら、この重要な選択に向き合わなければならないんだ…そう感じました。それが彼らの「生き切った」という満たされた思いにつながり、ひいては残された飼い主の心の癒やしにもつながるのではないでしょうか。

 動物医療は日々確実に発達し、ペットたちの寿命は健康・不健康にかかわらず伸びています。いずれは飼い主が望めば、機械につながれ、薬の力だけで彼らを生かすことも珍しくなくなるかもしれません。
 「生き切った」と思う瞬間と、体が死を迎える瞬間は、きっと違うのでしょうね。安楽死、すなわち安楽な死とは、「生き切った」ときを死とする考え方なのかもしれません。尊厳があるからこを安楽死といえるんだ・・・今ではそう思います。
 はたして、うちの子たちがその状況になったとき、自分は冷静に捉えられるかどうかわかりませんが・・・・・・。


ペットロスの心理学
モイラ・アンダーソン 著
インターズー
ペットはあなたの
スピリチュアル・パートナー

江原啓之 著
中央公論新社
犬の雑誌の編集者であった著者が、自分のペットロスの経験から得たアドバイスの数々。宗教観や死生観の違いは感じるものの、現実に向き合わなければならないことが端的に取り上げられています。ペットを失ったときに読むより、読める余裕のあるときに読んでおく本のひとつだと思います。 スピリチュアルに関しては賛否両論ありますが、わたしたちと犬の体はどう違うの?と思うのと同じように、わたしたちと犬の魂はどう違うのか、ひとつの方向性を示してくれる本だと思います。ホワイトバーチの霊訓に「犬の魂はやがて人になると」とあったように思うけど、この本にも同様な見解が述べられていました。


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